私達、医療通訳者にとって患者のかかえる色々な不安、疑問を解消することは、大切な役割だと思います。以前、次のような体験をしました。
ペルー人の女性が稽留流産(注釈参照)の手術説明を受ける際に、ご主人が大変詳しく色々と質問をされました。奥様のことを心から愛しているので、心配なのだろうと思いました。しかしその後、ご主人からある打ち明け話を聞いて、どうしてそんなに詳しく質問されたのかわかりました。・・・現在10歳の娘さんが以前、虫垂炎の手術で別の病院に入院した。虫垂炎なので、1週間ほどで退院できるだろうと安心していたが、その後、何が起こったのかわからないが、結局、入院は1ヶ月におよび、その間に子宮を摘出されてしまい、子どもが生めない身体になってしまった・・・というのです。その時、通訳として立ち会ったのは、その女の子の兄でした。その時、医師からは当然、詳しい説明がなされたようですが、残念ながら両親はほとんど理解できませんでした。その結果、彼らは日本の医療に対して不信感を持ってしまったのです。今回の稽留流産の手術については、すべて納得できたので、安心して医師に任せると言われたご主人の言葉を私は忘れることができません。このような不幸な悲しい事が起きないように、正確かつ患者さんの心に寄り添った通訳をしていきたいと私は思っています。
注釈:胎児の発育が停止したものの、腹痛や出血などのいわゆる流産徴候が全くないままに2週間以上経過してしまう状態
Y. Kawamukai
私はかつてアメリカと香港にそれぞれ数年間住んでいたことがあります。どちらの国の人達も、外国人である私にいつも分け隔てなく暖かい心で接して下さり、その大らかな愛情に救われて無事過ごすことが出来ました。
日本に住む外国人はその大半が企業に就業し、数年単位で生活しています。最近は留学生、研修生という立場の人達も増えてきたようです。年単位で暮らせば、当然病院の問題があります。家族が一緒であれば、病気や怪我だけでなく、妊娠・出産の場合に病院を利用することもあり、乳幼児検診や予防接種等も受けることになります。
そこで言葉の壁、医療文化の壁、習慣の壁、これらにいつも立ち塞がれていることは、生活上のとても大きな障害であるに違いありません。
M. Nomura
医療通訳とそれ以外の通訳との違いは何でしょうか?
医療の専門知識、専門用語…、確かにそれは重要で不可欠です。しかし最も大きな違いは、医療通 訳では、患者さんという1人の人の生活、痛み、不自由さ、ひいては命が懸かっていることではないでしょうか?
先日、担当した患者さんは、 腰に痛みがあり、処置室に横になっておられました。そこで医師の説明や、保険・帰国の手続き等について通訳をしました。横についていると痛みが伝わってき ます。しかしシステムや考え方の違いで思うように話が進まない…。痛みをこらえながら話すのはどんな気持ちでしょうか?患者さんに沿いながら、医療者との 間に立って冷静に通訳をし、安心感を与える態度とは?細い道をつくりながら歩いていくかのようでした。
通訳者は、話者の言葉を、自分の考 えを入れずにそのまま通訳するのが原則です。それは直訳という意味ではなく、言葉に表れた意図を理解して、異なる言語で表現するということです。文化、制 度、医療知識の程度が異なる医療者と患者との通訳において、どの程度原文にない説明をし、患者の立場を擁護するか(する場合は両者に断って行いますが) は、医療通訳関係の国内外の団体・個人で議論があるところです。私は、医療通訳者は、患者さんの治癒という目的に向けて、医療者とともに(あるいはその一 員として、これも議論のあるところですが)取り組む存在だと思っています。
インドネシアで2年間働いていた時に、一度風邪をこじらせて息 ができなくなったことがありました。工業団地のクリニックには英語を話すインドネシア人医師がおられ、私は英語で意思疎通をしましたが、もしインドネシア 語で、苦しい時に症状を説明しなければならないとしたらと思うとぞっとしました。日本語を話さない患者さんは、病院でこのような状況を味わっているので す。
表れた言葉の真意を理解するのはとても難しいことです。しかしそれが、とっさの時に、最も重大な形で現れ得るのが医療通訳ではないで しょうか?
「得之弦外」(大切なことは弦の外に潜んでいる)―― これは二胡奏者のチェン・ミンさんがお父さんから贈られた言葉です。
http://www.asakyu.com/anohito/?id=340
技 術は大切です。通訳養成校で勉強していた時は、厳しい授業と進級のプレッシャーで他のことが考えられませんでした。しかし通訳者として10年を経た今、一 番大切なのは何かということを改めて考えています。通訳者は芸術家ではありませんが、パフォーマンスに表れるのは言葉だけではないはずです。何事も気のつ かない私にとって、医療通訳は自分への挑戦でもあります。幅広い医療知識、用語を学び続けながら、いま、弦外にあるものを大切にしていきたいと思っていま す。
S. Matsumoto